カイ・ヘイマー Kay Heymer

"ゆるぎないしなやかなものさしで奏でる"

1. セロニアス・モンクは、別の−芸術的な−秩序あるシステムを妻に気づかせるために壁に真っすぐかかった写真をよくわざと傾けた。妻がフレームを真っすぐにし直すたびに、彼女の注意を引きつけ、新鮮で型破りな秩序をつくるために、再びフレームを正常な状態から僅かにずらした。
 モンクの音楽はこれに似通った行程で作用する。1958年にライブ・レコーディングされたセロニアス・モンクとアート・ブレーキーのジャズ・メッセンジャーズによって演奏された「リズマニング」の断片を聞くと、彼の芸術的なアプローチがはっきり示されている。バンドが一つのテーマ(ジョニー・グリフィンが人目を引きやすいメロディーをテノール・サックスで演奏する上から、ドラムのブレーキー、ベースのスパンキー・デ・ブレストはカーペットを捲るように最高の一定したスイングを転がす)を演奏する時、モンクはまるで家でするかのように振る舞っている。彼は池に小石を投げるように、独特で一見無関係な音色を投げ入れ、心を乱されると同時に和らげるような波紋で水面を壊す。モンクの不規則なピアノ演奏は似通った方法で演奏していたバンドに影響を与えた。しかし彼はその仲間たちと同じことをしているようには見えず、別の汚れのないアパートで曲がって掛かっている写真のようだった。モンクはメロディーを個々の構成要素に壊し、他のプレーヤー(とリスナー)に再び組み立てるよう任せてしまった。初めはそれがどれほど奇妙に見えたかもしれないが、その演奏方法は、彼が人生で関わった全てのライブ(生演奏)に費やした、途方もなく胸踊らせる創造的な挑戦だった。

2. 1980年代半ばから、アーティスト、アンドレアス・カール・シュルツェは、モンクが独特の音色を並べたのとほとんど同じ方法で、絵画、壁、そしてスペースに小さな正方形や小さな正方形の列を並べていた。彼の仕事は構築性と開放性との間にある同じような振幅によって認識される。メロディーの中で様々なピッチでなされた八分音符のように、スペースの中に自由に様々な色で一定のフォルムを配置していったのである。彼はスペースに関連した最近の仕事において、1980年代のキャンバスの仕事ではできなかったある目的に達した。けれども彼によってつくられた首尾一貫したシステムを正確に言及しても、与えられた部屋や空間のなかには、このアーティストの介在や個人的嗜好の形跡がない。確かに、彼のスペースに関連した作品の微妙さを感じるには、観客の細心の注意が要求される。それらが非常に控えめなので、怠慢な目では全ての作品に出会い損ねるかもしれないから。ガラスのファサード(1997年、ケルンの日本文化センターにて)に貼られた正方形の列は、人々がガラスウィンドウへ無意識に歩くのを防げる目印に容易になり得た。表面上は何気なく、わずかに曲げられた配列だけが、それらが何か他のものであるかもしれないことを示している。彼よりひと世代前のアメリカのアーティスト、リチャード・タトルもまた、最小限の形式の介在で部屋全体を変化させる。しかしシュルツェの視点から見ると、タトルの多様すぎる表現形式は、説明的であり、物質的な感覚さえもかなり叙情詩的に見える。タトルの作品は小さく、優しく、呪物崇拝的である。対照的にシュルツェはパネル絵画の放棄により、物体の盲目的崇拝のいかなる痕跡も放棄した。彼の作品は、私たちの視覚的な好奇心やスペースの認識に訴え、所有や収集願望よりむしろ、ある世界の中での「場の意識」に影響を及ぼす。
 アンドレアス・カール・シュルツェの作品をスタイルやジャンルで分類しようとすると、僅かな特質しか無いように感じる。そこには1960年代のミニマル・アート、ドナルド・ジャッドの作品、1920年代、1930年代のオランダのデ・スティル・グループのアートを連想させる特性があり、その影響は1980年代中頃の彼の絵画のなかで極めて明らかである。小さなカラーの正方形をつくることで絵画の境界を越えたシュルツェの足跡は、中心化されたモンドリアンと最終的にはスタティックな精神性に反感を示したテオ・ヴァン・デュースブルグの周辺のカウンター・コンポジションのコンセプトを想起させる。
 1990年代、アンドレアス・カール・シュルツェは、彼の形式上のシンタックスをスペース(一括りにしたものやシリーズの中で多くのバリエーションをもった作品で関連づけられた)のなかで繰り返し現れる小さな正方形に還元した。この形式は非常に普遍的なので、そのルーツを求める必要はないだろう。平面と点の間を振幅させるように、正方形のサイズは5×5 cmが選ばれた。シュルツェはこのフォーマットを慎重に選んだ。1989年の初期の壁の作品では、彼は3×3 cmのフォーマットで実験した。また、Wandbild fur eine Ecke(コーナーのための壁画)では、1991年のウェストファリッシャー・クンストフェライン(ミュンスター)でのウォール・ペインティングの時ように、かなり大きな正方形を使用する。これらの仕事で彼はさらに幾何学的な要素を完成するため、抑制不可能な心理的衝動によって駆り立てられた観者が、心の目でかたちをつくりあげるように、壁の端、あるいはコーナー上の正方形の縁を切り落とし、移動のイリュージョンの実験も試みた。
 シュルツェの正方形は、ロシアのアーティスト、カジミール・マレーヴィッチあるいはジョセフ・アルバーズの正方形へのオマージュとしてのイコンの様式や精神的冥想を投影するためのスクリーンでは決してない。シュルツェは、独自の冷静な方法でこの形式を自分のものにし、それによって自分を確認できるようになったのである。彼の作品の効果は、全ての優れた形而上学的な構造と縁がない。それは知覚のプロセスを意識させ、優れた注意力を冷静に生じさせる。基礎的なモジュールをもった作品で、不変なものと変わり易いものの均衡を保ち、奏でるためのものさしを確立する。観客の知覚と好奇心に対する能力を高めることが、このアーティストが押し進める力なのである。彼は布教活動を広めるようなことはしない。しかし、人が自分自身の方法でスペースを見る、知覚する、ということに気がつき、彼の謙虚に主張するサインが、いかに人の心の状態を変化させるかを見出せたとしたら、それは一つの達成だといえるだろう。
 本質的な知的内容と決定的な素材の単純性が混ざり合ったシュルツェの作品の不変性は、彼の芸術的な全作品の重大なリスクを隠匿する。同じ度合いの責任を観客に与えることによって、作品の有効性や存続が観客の興味や好奇心に委ねられるという重要なリスクは、彼自身の人生におけるアーティストとしての存在表明になり得る。シュルツェは全てのアートの条件を急進的にする問題点を持ち出し、自身を危険に満ちた境界線に置く。彼の作品は禁欲的であり、観者に迎合せず、素材のアピールもしない。しかしながら、ちょうどモンクの音楽が魅了するように、まわりのものを変化させることで魅了するのである。人が最初は疑うかもしれない、より複雑な前後関係の範囲内にある簡潔さは(デュシャンのパラダイムに則れば)、見る者の心の中にある連想を引き起こすきっかけとなり、人が既によく知っているものをより理解させるのである。

3.1980年代から1990年代にかけて、アンドレアス・カール・シュルツェは形式上さらに作品を削減していった。彼の初期の絵画では、特殊な人生に向き合うように小さな正方形を繰り返し孤立させた。逆に言えば、彼の絵画と初期のウォール・ペインティングの形式上の還元は、実は複雑さと時間 −消費された過程− に基づいていた。小さな正方形は直接的に描くことによってでもなく、省略することによって作り出されたものでもない。個々の目に見える色は広範囲にわたるペイントの使用によるものだった。例えば、異なる色の2つの正方形が3番目の色の領域で見られるとすれば、この組み合わせは少なくとも3つ異なるペイントの層があり、−-小量の異なる色でペイントされた層、正方形に残されたすき間− それらは実はネガ形式であり、背景はペイントすることによって覆われたその仕事は文字通り隠された中身で満ちている。この絵画プロセスの逆転は、世界がひっくりかえされ、予測に反する事が現実に起こるという芸術的な戦略に匹敵する。1992年のアルンスベルク・クンストフェラインのためのウォール・ペインティングでは、多重のペイント層のプロセスと制限されたネガ形式を極端にとると同時に絵画と壁は上塗りされた層の下に隠されている。
 小さな正方形をパネル・ペインティングに残し、スペースの独立した要素として壁や部屋に印をつけるファブリックの小さなピースの形式をとると、瞬く間に作品は新たな形式の秩序に向けて道を開き、重大な転換点を表現する。そのプロセスは、ドラマあるいは他の時の経過と構造上の類似をもった一時的な介在であり、サイト・スペシフィックヘとさらに導くことができ、アートの形式に関連する。これらの作品は、−写真で、あるいはその時現場で作品を見た幸運な少数の誰かの記憶の中で−ドキュメンテーションのなかでのみ生き残る。この展開の根底にある意思表示は、漸進的な消失の傾向を撤回することでもある。例えば2000年、レイキャビックのリビングアート・ミュージアムで行われたグループ展「hvit(白)」の彼の部屋には、いくつかのファブリックの正方形で印づけられた中央のコンクリートの柱だけが存在した。まさに作者を隠すように、シュルツェの作品はその作品自体をカムフラージュする。彼のアプローチは間接的である。出発点から一貫して、彼は人工的で職人気質の「作られた」作品から距離を置くようにしてきた。以前からずっとそこにあると信じることができるような方法で、いかにモノをつくることができるか?個人を越えた匿名の効果をいかに成し遂げられるか?  シュルツェの作品は、非常に控え目だけれども、その存在は突然知覚される。そして一度知覚されると、ゆっくりと効き目があらわれ、システムが認識可能であるのに解読することができず、徐々に観客を混乱させる。かろうじて知覚できるが、すべてを変えてしまう何かが部屋にあるのである。
 1998年、大阪の関西ドイツ文化センターで、シュルツェは3つのファブリックの正方形を使い、窓枠、窓ガラス、部屋の柱という3つの異なるレベルで空間を作った。その作品は、正方形事体が動くことで、観客の視点の角度を絶え間なく変化させ、観客が部屋の周りを移動すると、その関係性も互いに変化した。それ以上縮小することができない形式上のことばを用いながら、アンドレアス・カール・シュルツェはダイナミックなイメージと共に状況もつくり出した。彼はたいてい何気なく、作品に注意深い視点から、−静的な、しだいに弱まり消え去る音に祈りを捧げるように−『観念的』でない本質的な述べ方をする。シュルツェの日本に対する親近感は、実在する宗教のなかでもっともありのままに直接的な心身の状態を生じさせる禅がもたらしたものと、同時に発生したのではない。

4.「SOME SOMETHING AND SOME NOTHING」は、ハイルブロン・クンストフェラインでのシュルツェの展覧会に彼自身がつけたタイトルであり、彼の作品を見ることで生じる疑問を簡潔に表したものである。彼の形式上のシンタックスの縮小は、価値あるものを知ろうとするあまり、結局人は何も見ていないのではないか、ということを観る者にわからせる。シュルツェはハイルブロンの町に、彼の良く知られた初期の作品を調和させ、最も注意深い観者だけが気づくだろういくつかの微妙な痕跡を残した。しかし、クンストフェラインのオフィスのなかでは、幾つかのファブリックの正方形を用いて完成された正方形がそこに在ることさえ容易に見落とされた。
 展覧会はカラフルからモノクロームなもの、作品数の少ないものから満ち溢れたもの、を網羅した異なる作品を、驚くべきバラエティーで展開している。適度な位置で途切れた膨大なカラーの正方形からなる水平のシリーズが第1室のメインの壁を占める。この作品はシュルツェの全作品のなかでも、極めて驚くべき豊かさや動きのある色の豊富さをもつ。一見その整列は自由に見えるが、注意深く視察すると、いくつかの系統的な規則が適用されたことが明らかになる。水平方向の流れるような動きのラインは、純粋な偶然によってそれぞれが交差し、連続的に流れるラインの直線の配列を決定する壁が、6つの独立した部分で構成されていることによってさまたげられている。ラインにある小さなファブリックの正方形の色と位置は、偶然の法則によって決定されるのである。反対側の壁には、かすかに光る壁にコントラストをつける整列の規則性や制度をもつ2点の作品がある。3×5 mからなる2つの長方形の外端は、緑と赤のファブリックの正方形それぞれ印づけられている。緑と赤の異なる色調を用いたことにのみ自由性があり、わずかなバリエーションでこの組み合わせが第2室に通じる壁に繰り返される。色は変化しながら、それぞれのディテールは部屋のプロポーションによって決まる。残りの壁にあるファブリックの正方形の3つの垂直列が、緑、赤、グレーの色の関係性を変化させる。
 有効な『解決』や『啓発』をしないことで提示するシュルツェの仕事の核心にさらに達するよう試みても、彼のシステムを読み取ることは容易ではない。どんなアート作品もそうである。それは骨が折れるし、結局は作品がもつシステムを記述することなど、ほとんど無意味である。そして作品を熟考することが、ある理論に到達することではなく、むしろ読み取ろうと試みる過程が重要であるという事実をつかむのである。シュルツェのアートは参加することから生じる観察力を要求する。モンクの音楽のように、それ自体を越えた無の認識にある精神的緊張を生み出す。多く場合そこには何かがあり、時には膨大にある。展覧会におけるアンドレアス・カール・シュルツェの作品は、モノを見せることで説明する本来のイベントである。逆に、そのイベントとは、厳粛に受け取られず、見落とされがちなリスクを受け入れ、無形式の境界に限りなく近づく事実に存在する彼の作品の精神的緊張感と意味深長さなのである。
 アンドレアス・カール・シュルツェは、知覚の根拠を露呈させるアートを追求し、アートに何が可能か、また、どうあるべきか、についての私たちの考え方を根本的に試す。関わることができる、アクセスできる、という自身の問題に真摯に取り組み、冷静さと音楽の軽快さをもって試みる。

マティアス・ルブケ


"5×5-  実験室のキャビネットから茶道まで"

彼の芸術的なアプローチは精密で妥協がなく、与えられた状況とその中に存在するものを鋭く凝視し、環境との対話から5 x 5 cmのファブリックの正方形を用いてつくられる。それは「平凡な『ものごと』に応じた開放は、私たちの創造性ある活動にエネルギーを与えることができる」ということをラディカルに新しく求めた、1960年代中頃から活動するインディペンデントの建築家グループ、アリソン&ピーター・スミッソンによってかかげられた「普通で新しい視点」を発展させたアプローチである。他の解決策に到達するために用いられるその考え方は、センチメンタルにならない理解方法で作品のプロセスにアプローチするということである。アンドレアス・カール・シュルツェの場合、これらの解決策は、個々を形式化するのと同じように、著しく思いがけないことだった。例えば1998年に彼は、日本の鯖江高校(福井県)のいたる所17ケ所の異なる位置に、5つのピンクの正方形からなる水平列を、同一の形式的構造で設置した。彼は実験室のキャビネットの上方の壁、伝統的な茶道のために設けられた部屋の壁の端、というように気取らない場所や人目を引くような位置を選んだ。これらの作品は、人々の注意を引き付けることよりも、芸術的な、また、芸術的でないピュアな領域に置換することに成功した環境と非常に密接にリンクしている。
アンドレアス・カール・シュルツェの芸術的なポジションは、アーティストという立場を重視し、作品のコンセプトの理論的一貫性を見出し探ることで絵画の領域を残し、その根源にある精神性を認めようとする。1960年代以来、リチャード・アーシュワーガーは、「コンテクストの精神鍛錬のストレッチング」についての考え方を掘り下げていた。彼はあらゆるパブリックな場所に様々なサイズの黒い楕円形「Blp」を設置した。しかし、リチャード・アーシュワーガーは事実を誇張しようと努め、彼のもつ芸術的な形式をそのなかに設置したが、アンドレアス・カール・シュルツェはコンスタントに驚くべき法則の再現を成し遂げ、ミニマリゼーションをさらに1ステップ進める。彼もまた、ベーシックなモジュールで仕事をするが、ゆゆしき役割で演奏することを放棄し、方向性を変えることで、色や配置、量をつくり変える。
「Some something and some nothing」は、モジュール −正方形− とその間にある空スペースを、彼がいかに表現するかということである。ハイルブロン・クンストフェラインでの彼の大規模なウォールピースのように、「something」は単一のファブリックの正方形になり得るし、789個の正方形にもなり得る。「nothing」は正方形の左右にある最小の空スペースであるが、それは大陸間の距離まで広がりをもつ。
アンドレアス・カール・シュルツェの作品の位置は、次のように記述することができる。「普通で新しい視点」が「コンテクストの精神鍛錬のストレッチング」へと変化するミニマルなスタンスは、やがてはマキシマムな空間への連鎖へと導いてくれる。

石川公代訳

アンドレアス・カール・シュルツェのサイト:
2000 アートと建築 Two Days Gallery+Open House、京都白洋舎ビル(サイト
2000 住宅建築2000年7月号の掲載記事(サイト
カイ・ヘイマー,マティアス・ルブケーテキスト(サイト
1998 鯖江高校プロジェクト(サイト
1998 関西ドイツ文化センター、大阪(サイト