ミハ・ウルマン|Micha Ullman
ベルリン市(ビブリオテークー図書館)
ミハ・ウルマン − 無言のとりで   彫刻 図書館とそのドローイング
モーディカイ・オメル


「・ ・ ・ 煙となって宙に立ちのぼる そうすれば雲の中に墓をもてる そこなら寝るのにせまくない」。 パウル・ツェラン「死のフーガ」より。

 1995年3月20日、ベルリン東のベーベル広場に、1933年5月10日の焚書を追悼したミハ・ウルマン作の記念碑が完成した。ベーベル広場(1947年までフランツ・ヨーゼフ広場と呼ばれていた)の周辺には、重要文化遺産を含むいくつかの価値ある建築物が見られる。国立オペラハウス(1743年の質素な古典的スタイルの建物)が右に、左には「カビネット」(精巧なバロック式の大学図書館)が建っている。その背後には、カイザー・ヴィルヘルム時代から銀行のはす向かいに建つローマのパンテオンを想起させる並外れたドームと17世紀の聖ヘドウィック教会がある。その反対側、木々のはるか向こうには、フンボルト大学(アルバート・アインシュタインが教鞭をとった)。そして広場の中心は、1933年5月10日のおぞましい夜、ベルリンの単科大学と総合大学の「ナチスによって組織された学生組合員」と国家主義者たちによって「非ドイツ的書物」が焼かれた痛ましい歴史の場だった。
 焚書は、ナチス第三帝国にとどまらず、世界中で大きな注目を集めた。約5000人の学生がたいまつをもち、市の中心へ向けて行列し、この焚書儀式に参加した。約2万冊にのぼる書物と定期刊行物が炎上したといわれている。「国家教育とプロパガンダのために」という「炎の演説」は、ナチス党宣伝大臣ヨゼフ・ゲッベルスによるものだった。ラジオやニュース映画のドキュメントによると、約4〜8万人が第三帝国のいたるところでこの儀式に参加したと報じられている。
 「魂をもった活字」に次々と火が放たれ、クルト・トゥホルスキー、トーマス・マン、エーリヒ・ケストナー、マキシム・ゴーリキー、シグムンド・フロイトなどの作家の書物が燃やされた。記号的な観念のもと、全ての共和主義者と民主主義の文化は燃えて灰になった。ゲッペルスは豪語した。「過ぎ去った共和国精神のいしずえを地の底に葬った」。
5月10日の儀式の前にも、すでに数人の作家がナチの惨忍な仕打ちによる数万人の犠牲者に加えられていた。その数は「ごくわずか」だったかもしれないが、翌年に本格化されたテロ計画、ユダヤ人の大量虐殺によって組織的に皆殺しにされた。焚書は長年にわたりドイツ文化の伝説となり、反主知主義者と反ユダヤ精神の感情の表れだった。過去に同じような焚書事件が起こった後の1820年、ハインリッヒ・ハイネはすでに予言している。「これは単なる序章にすぎない。書物を焼く者は、いずれその炎で自身をも焼くであろう」。
焚書は多くの作家に深いショックを与えた。そのうちのひとり、トーマス・マンは、B.B.C.ラジオ放送でその思いを訴えた。

 ドイツ人リスナーの皆さん!バルト海で逗留していた1932年の夏、私は一つの小包を受け取りました。包みを開けると、真黒に焼けこげ灰になった紙がこぼれ落ち、それが私の小説<ブッデンブローク家の人々>だということがかろうじてわかりました。ナチの暴挙に対して公に反感を示した私に、本の所有者が見せしめに送ってきたのです。
それは1年後の1933年5月10日、ナチの管理体制によって組織され、ドイツのいたるところで大規模に行われた残虐な行為の前ぶれでした。儀式のために大量に焼かれた書物の著者である自由主義の作家たちは、ドイツ人やユダヤ人だけでなく、アメリカ、チェコ、オーストリア、フランス、そしてロシアの作家たちでした。要するに、世界中の書物が火あぶりにされたのです。
ドイツ国家社会主義の多くの犯罪(長きにわたり続いた残虐な暴圧)の中でも、この馬鹿馬鹿しい儀式が世界中に与えた強烈な衝撃は特に悲惨であり、おそらく人間の記憶に永遠に残るでしょう。ヒトラー政権と共に。それが記憶から無くならないかぎり、ドイツ国家主義がおこなった酩酊の行為がヨーロッパ文化の道義に与えた悲惨な衝撃を人々は語りつづけるでしょう。
焚書事件から60年、儀式が行われたベーベル広場に追悼記念碑をつくることになり、そのコンペに30人のアーティストが招かれた。そしてケルンのルートヴィヒ美術館のディレクター、マーク・シェッペが代表をつとめる審査員会に、ミハ・ウルマンが提出した案が選ばれた。シェッペはその案について、こう書いている。
 その彫刻は、焚書が行われたベーベル広場の中央に位置し、地面の下にある、中に入ることのできない閉じられたホールである。記念碑はコンクリートと石膏でつくられ、白く塗られた図書館のようだった。14段ある棚には約2万冊の本を収容することができ、それは焚書儀式で燃やされた書物の数に相当する。正方形のガラス板の床が図書館の天井になり、正方形の敷石で固定されたそのガラス窓を通してのみ、人々は作品を見る。水平のガラス板の上は、立ったり歩いたりすることができる。ホールの深さは不安定な感覚が得られるよう設定され、白いホールは一定の人工光で照らされる。周辺の環境と空が観る者の動きと視点の角度に影響し合いながらガラスに映り込む。図書館は外界から隔離される。彫刻は私たちの足の下に存在する。図書館はガラスに映り込んだ環境を通して現在に開く。その見え方は、天候や季節、日中や夜によって変化するのである。
 観る者はガラスに映った自身の像や影を通して穴の内部に自分を見つけ、記念碑の一部になる。記念碑は正方形の濃密な光である。アルバート・アインシュタインは、エネルギーはその質量と光速度の2乗の積で表されるという関係を数式化した。だとすると、質量(書物)は光(燃えること)と関係することでエネルギーになる。蓄えられたエネルギーは自由になり、書物と人々の精神だけが残り、空で出あう。図書館は夜も昼も永遠の光を、人工と自然の光で照らすのである。
地下スペースの建設(約50?F、高さ5m30cm)には2年を費やし、それには工学や科学の最高技術に基づく計画を必要とした。たとえばベーベル広場の土地の高い地下水位を考慮して、作品の正方形付近にある歴史的建造物の基礎を損傷しないよう、スペースをつくる際のメンテナンスの問題(温度、湿気、乾燥のコントロール)を解決しなければならなかった。観る者の目に触れないところで、様々な解決策を見つけることが不可欠だったのだ。この風変わりな「天地が逆転した」スペースは、避難所の記憶を呼び起こし、歴史的な場で起こった象徴的な事件を暴露するための穴掘りであり、この「転覆させる」作用が、ウルマンが彫刻を表現する際のスペースの特徴を示す典型的なものであることは言うまでもない。
 私は掘る人である。おそらく私個人の問題、私の心理的な背景(無意識下にある)から、必要にかられて掘る。田畑は私の一部である。私の家族はキブツに住んでおり、私は農学校に通っていた。父は解放戦争の間、砲撃にそなえて塹壕を掘ったものである。その後軍隊へ召集され、1967年にはシナイの落下傘部隊に属し、戦争を含むほぼ30年間を予備軍ですごした。年に1ヵ月分のたくわえが人間の一部になり、私の一部になる。田畑は、農業の場であり、戦場でもあった。くぼみ(1970年にはじまる作品)は、私の生い立ちと関わりなく、表現したかった形である。くぼみが私を魅了するのは、その行為が地球の表面を掘ることだからである。表面は土と靴底の間にある境界である。掘る行為は境界を壊すことであり、表面と臨界が私をとりこにする。穴をつくることによって私は空を広げた。自分の理解がおよばないことに私は魅了される。これまで私は、くぼみが何なのか理解していなかった。掘ることは防御ではなくむしろ、土、場、そして「根源」の問題に関わることなのである。
70年代初頭のくぼみに比べると、ウルマンがつくった溝と要塞の方向が、−たとえば1980年のヴェニス・ビエンナーレや、テルアビブ美術館彫刻ギャラリーの個展で(p. 13参照)見られるように−図書館のテーマが彼の存在論の穴掘りに新しい意味を与えたのは確かである。
アブラハム・オフェクはミハ・ウルマンとの関わりから、ユダヤ教と社会の多くに共通したものから生まれる神話のコンテクストがウルマンの作品と密接な関係をもっている、と述べている。彼は「ミハ・ウルマンの比喩」のなかでこう書いている。
 数年前、ミハ・ウルマンが穴の作品を作ったことに私は関心をもった。彼はそれを溝とよんでいた。私は、ある場所から他の場所へ彼が地球を移動させているのを見た。土のあるべき場所を探して。そして、ウルマンが地球に建てた椅子を見たのである。彼は地球の玉座をつくったのだ。山を積み上げるために人は海を掘り起こさなければならない−これが民族(国家)である。小丘を積み上げるために人は湖を掘り起こさなければならない−これが種族(都市)である。地球に家を建てるためにはプールを掘り出すだけで十分だ−これが家(家族)である。ところが椅子をつくるのに必要なものは、神が人をつくるのに必要とした地球の量である。それは私たちの根源を表している。人間の目は一生かけても満たされることはない。どうすれば満たされるのか?地面の小さな穴はひと握りの量の地球。ウルマンが椅子をつくることは、人をつくることなのである。地球(アダマ)がなくてはならないものであるように、人(アダム)は世界の要素なのである。そして、水や風はどこにあるのか?そこにある!私はくぼみの上にある椅子にヒントを見つけた。水に浮かぶ船に、水の中のものに、水の外のものに。そして、もう一つのヒント。私はウルマンが地球をある場所から他の場所へ移動させることで、砂の状態にするのを目撃した。それは砂時計の流れのように、水がもたらす全てのことを可能にする。それはまた、ウルマンのリズミカルで連続的な仕事に存在する時間との関わりである。
 もう一つは、人と椅子の関係。夜明け空の子[金星]は、空にとどまる間、この上ない美をそなえた天使星であったと言われている。それが地球に落下したとき、醜くなり魔王へと変わった。おそらくそれはウルマンが掘ったくぼみの場所に墜落した流星人だった。落下の勢いと流星人の存在から、くぼみはつくられた。ウルマンはことばでこの考えを補っている。「私は脅迫的場面の目撃者として証言したい。<アルノルフィーニ夫妻の肖像>を描いたアーティストが絵のなかで書いたことば『ヤン・ファン・エイク ここにありき』と同じ方法で。ヤン・ファン・エイクはアルノルフィーニでなく画家として絵の中に存在することで評価され、頑強で華やかで繊細な社会を描いた。私(ウルマン)は地球に触れることでここに存在する」。ウルマンのもう一つの陳述にも手がかりがある。「私は思うままにくぼみを植えた。上から眺めると、それは十字形の地図上の記号のようだった。おそらくこのパビリオンの床に着陸した飛行機のように」。[ヴェニス・ビエンナーレ(1980年)のカタログより]上からの眺めは、地球の内部からの眺めになくてはならないものである。そしてここには、落下傘部隊がうまく落下するように落下(流星人の堕落)地点を指示しようとするXサインがある。前述のことから、精密さ、素材に対するスタンス、速度、準備のプロセスと実行など、様々な要素の重要性が、作品のなかであらゆる詳細と関わっている。ウルマンが各々の問題に出した答えは、彼の作品のユニークさと意味に一致している。

 図書館のドローイングで、ウルマンは計算された純理論の具体的なかたちの間にある意味関係の多様性と素材の非形式と否定の端にある、ものの状態を強調した。これらの紙の作品では、語らないことが語ることを超え、見えないものが見えるものを超える。黒鉛粉を使用し紙一面に散布することで、図書館のメッセージに潜むありさまを知覚できるようにする。地球と空、雲と煙、水と火、生と死、正反対のものを一つにする。紙は観る者が図書館の深さに入りこむのを妨げるガラスのようになる。観る者は図書館に入る代わりにガラスの上に立つことで、自分自身の内面に入らざるを得ないのである。
 はじめて作品のベースにガラスを使ったアーティストは<大ガラス(通称)>をつくったマルセル・デュシャンだった。グリーン・ボックス(「大ガラス」についての思索メモやデッサンをおさめた箱形式の本。デュシャンはこれをむしろ作品の本体とし、「大ガラス」はそこに盛られた観念の投影であると考え、同様の方法を通してレプリカの制作を進んで認めた)に「ガラスを使う」ことで、デュシャンは新しいアーティストのあり方を提案する。絵の不透明なベースが透明なガラスと取り替えられ、あらゆる錯覚を起こさせる遠近法の深さを事実上破壊し、空間が与える目に見える表面的な安定感をなくす。それに代わり、見る事についての新しいコンセプチュアルな何かが必要とされた。それは外部へ導く見方を犠牲にし、観る者の心の内の反応を促すことである。ドローイングは瞑想的なものに近づく。彼との話のなかでウルマンが言うように、それらは「内部凝視に向かう誘発である。・・・私の作品は謎である。容易に理解されず、明白でなく、論理的であるとも限らない」。ウルマンは作品のカフカの効果を強調する。「無力さ、核心に達する困難さ、未然の出来事との掛かり合い、全ての未知なるもの。図書館の作品は中に入ることができないという揺るぎない事実を通して全てが存在する」。
 このドローイングのシリーズのさらなる特徴は、 素材、視野、そして、そこに存在することで気づく私たちの知的能力が崩壊する感覚である。グリッドはいわば図書館の棚の図をあらわし、不可解な生命感のある論理で、紙全体に漂い流れる重くどんよりとした雲のなかで消えてなくなる。ウルマンは当時認められていなかった建物の骨組みから光の反射を描こうとする大胆な努力が物体の解体につながったと、印象主義から始まった崩壊のプロセスについて確言している。印象派の風景画に内在するリアリズムは、私たちのまわりの物、精神的かつ物理的な現実を保つことは不可能だと示した初めての表現だった。「私は、ものをゆがめたり、縮めたりすることなく、あるがままの実体をとらえた、基本的にカフカのような印象派の作家を大いに評価している。その色彩には偽りがない。同時にそれは、事実崩壊のはじまりである。彼らは最大の革命を実行し、新しい表現をつくるために前向きな姿勢で破壊した。最先端の生き方にふさわしい英知を身に付けていたのだ」。素材の崩壊は、クロード・モネの<駅>(ガラスと鉄でつくられた屋根、鉄道駅を満たす機関車の煙、立ちこめる雲と空、ひとつひとつの個体が全て融合し、分解され、消え入るような)を思い起こさせる。これらのドローイングを調和させる人間の速度、有機的な素材による活気、そして互いを融合するあるがままの状態。図書館についてウルマンは述べる。「私たちは、ここで呼吸する。幾何学的な、あいまいでないくぼみ、その棚がどこで終わるかは明らかではない。・・・もし扉を押し込めば、棚は沈められる。もし扉が沈められるならば、棚はあらわになる。ここには内と外を入れ替える相互作用がある。肺のように表面が拡大する可能性がある。あらゆる仕事の場で私の心にあったイメージは、エドヴァルド・ムンクの<叫び>だった。大きい絵のなかの比較的小さな穴、小さく黒いくぼみ、皮膜をも覆うような叫び声の要素、もの言わぬ叫び声。ガラスの上には、ひっかき跡がある。それは私にとってじゃまにならない。目に見えていたものが徐々に見えなくなり、一種の速度を与える。繊細な膜、処女膜のような繊細で敏感な領域にあるガラスへの攻撃。納骨堂でハトが卵をかえす領域。子宮。私たちはここに永遠のイメージをもつ。私にとって『図書館』は、ことばに蓋をするのに有益なものである」。
 かつてサミュエル・ベケットは、文学とビジュアル・アートの関係について述べた。「文学とビジュアル・アートは、火と水のように蒸発区域で出あう」。ミハ・ウルマンは、新たな人生をつくり出す厳しい試練の過程で流された涙の水で、焚書の火を溶かそうとするかのようだ。

Notes :
1. Paul Celan, " Death Fugue" , The Rose of Nothingness ( translated from the Hebrew translation by Manfred Winkler [ Tel Aviv: Sifriat Poalim, 1988] , p. 1 7) .
2. The following text appears on a sign beside Ullmanユs sculpture : " ' This is only a beginning: where books are burned, in the end people will be burned tooユ . In the center of this square, on May 10, 1933, National-Socialist students burned the works of hundreds of authors, journalists, philosophers and scientists" .
3. Thomas Mann, " Concerning the Book Burning, 10 May 1933" , BBC radio broadcast, 25 May 1943.
4. Micha Ullman, text from the proposal for the competition in 1993.
5. Micha Ullman, in a talk with Dalia Manor, Haaretz, November 1988.
6. Avraham Ofek, " The Parable of Micha Ullman" , in: Yigal Zalmona ( ed. ) , Micha Ullman 1980-1988 ( exh. cat. , Jerusalem: The Israel Museum, 1988) , p. 12.
7. Micha Ullman, in a talk I held with him in January 1995; all following quotations from Ullman are from this talk.
8. From a talk I held with Samuel Beckett, quoted in Mordechai Omer ( ed. ) , Samuel Beckett by Avigdor Arikha: A Tribute to Samuel Beckett on his 70th Birthday ( exh. cat, London: Victoria and Albert Museum, 1975) , p. 5.

石川公代訳

2003年7月現在の状況は作品の周りを地下駐車場を作る工事が行われている。作品は保護され恒久的に見れるようになったが、今は工事の柵の関係上作品自体は残念ながら見られない状況になっています。
鯖江高校アートプロジェクト
Earth Room, 西宮市
ウィズバーデン美術館での個展