福井県鯖江高校アートプロジェクト


ミハ・ウルマン|Micha Ullman

1939年イスラエルのテル・アヴィヴに生まれる。政治、思想、文化、そして究極的には人間自体の問いへと導くウルマンの作品は、実際の経験と創造的経験を組み合わせ、様々なイメージを引き出し禁欲的なカタチを生み出す。近年は世界各地で公共空間における恒久的なプロジェクトも多数手がける。世界的な反響を呼んだ、1995年、ベルリンのベーベル・プラッツ広場(1933年にナチにより非ドイツ的という理由で世界的に著名な作家たちの本2万冊が焼かれた広場)に設置した「ビブリオテーク(図書館)」は、広場の石畳の床に1.2m四方のガラスの板が敷かれ、その中を覗くと深さ5m、50平米もの地下室が広がる。2万冊の容量をもつ書棚には何も無く、空っぽの図書館は人間の蛮行への警告碑として訴えかける。


「ストーン・ゲート」大野市産五色石
(97年11月現地下見。98年3月設置完了)


通学路の入口から校門までの坂道約55mの両脇に設置


作家によるコメント

<鯖江高校プロジェクト作品"ストーン・ゲート"について>

 みちの彫刻である。生徒たちが登下校時に歩きながら体験できる彫刻。道の中にすっぽりとおおい隠された彫刻は、その上を歩くことができる。
 作品は1個の岩石からできている。それを13回、縦に切断することによって、14の石片を作り、中心から右の7つを道路の片側に、左の7つを反対側に置く。7対の石片が列をなし、道路の両側に並んでいる。
 石片の属性と相互の関係性を具体化することで、見る者は自らの想像力をかきたて、もとの岩石を再び組み立てることができるだろう。
 雨の日には、石は深い緑色を帯び、その内側からの情報が表面に現われ、人々は縦断面の内部構造をうかがい知ることができるだろう。 7対の石は見る者に向かって「開かれた」石の門となり、石片と石片のはざまに人々は歩を進める。7つのゲートが見る者の眼前に広がり、迎かえ入れてくれる。
 Stone Gate 1998 Sabaeはこの場所特有のものである。岩石はこの地方産のものを用い、その形状は鯖江市を囲む稜線に酷似している。そして学び舎としての、経験を積み、質問を投げかける場所としての学校にも非常に関係していると考える。
 作品は自然と、科学と文化-それらはすべて学校で学ぶことのできる分野-との相関に基づいている。人々が想像力を膨らませば、すべてのゲートは開くだろう。

<私にとってアートとは>

 私の仕事について形容してみると、現在として表現できる境界線の「ないもの」、「見つからないもの」、「あったもの」、そして多分「あるもの」を扱っていると言っていいだろう。
 私は見る者に自身の想像力を働かせ、作品を組み立ててもらおうと考えている。そのために、できるだけ十分な情報を伝えようと努めている。およそ30年に及ぶ私の仕事を振り返ると、地面の上、もしくは、靴底と地面の隙間に位置するものばかりであることに気付く。ここは「上」と「下」をつなぎ合わせるか、切り離すかを判断する微妙なゾーンである。
 くぼみを私は基本的な要素として多用する。ある種の空間として、『何よりも必要なもの』として。
 掘る行為は大地の表面にほんの小さな傷をつけることに等しい。そうすることでより大きな空を手にいれることができる。どんな掘る行為にも、 くぼみがあり、そして、 土のついたシャベルが存在する。この堀上げた土をどこにどのように置くかが、直接、結果に影響してくる。
 くぼみには彫刻とは切り離すことのできない空間に結び付く力がある。空間とは感覚でつかむことのできる物理的存在だが、人間形成の根幹である知識や記憶、願望でもって捉えることもできる。
 私の希望は見る者が彫刻の上を歩くことである。これは身体の重みを感じながら、足で作品に触れることを可能にする。この行為は私たちを空間へといざなう。私たちは、立つか、 歩くか、 座っているか、 それとも横たわるのかを決めなければならない。
 あらゆる彫刻はさらなる前進を表現している。視線は下を向いている。これは縦の軸線であり、上向きの視線を含んでいる。もし、何も見えなければ、私たちは後方に視線を移すであろう、 振り返ることなく。 その場合、 私は 視線が内側へと向かうことを望んでいる。



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