池田啓子|Keiko IKEDA – I’m here –
2007.01.20(土)- 2007.03.03(土)
<作家コメント> ある午後の日、室内を徐々に厚い光の層が充満してくるのを身体が捉えた瞬間、宇宙の気のようなものを感じたときがある。そして、日常生活の端々に垣間見られる光の自然の現象とそのリズムが、心地よく身体へと関与しているのに気付いた。その時、感覚的なものと精神的なものとのバランスのなかに物事の本質があるのではないかと感じた。それ以来近年、「光」を主題にした作品を制作し続けています。 「見ること・・・」とは、見えない物を見ようとする想像力(意識)が、見えない物を感じそれを思い考える。さらに、思い考えた物を感じ取る意識ではないかと考えている。「見ること」を踏まえ、作品に使用した二つの素材「自然光(太陽)と人工光(ブラックライト)」 が造り出す光の造形から、物事の本質を考えることにした。 その一つは、自然光(太陽)と鏡の組み合わせである。これは光を鏡に反射し壁面に投影した作品で、この関係は鏡が抱える二者間(虚像/実像、明/暗、物/空間)の境界面、あるいは接点とのあいだで、光の量と質の変化がかもし出す空間の質の変貌と、形態の生成と消滅を捉えていくことにある。それは光の質と形態が、刻刻と変化する事象を飽きることなく見つづける力(精神)を捉えることである。 二つ目は、人工光(ブラックライト)と蛍光を含んだ物質(紙、糸、絵具)との組み合わせである。この関係は人工の光を吸収した物質そのものが自ら光を発し、物と空間の境界や環境を形成する様々な表面や肌理、縁の現象を、身体の奥深くに直感した精神を思う事である。二つの事柄、見つづける力と現象を直感する精神が、物事の本質「見ること」へと繋がって行くものと考えている。 光の作品は、空間と物の境界、接点におけるライトドローイングである。それは物質的な存在ではなく、ただただ光の存在であり、また非存在として確固として<在る>光を認識することでもある。 「見ること・・・」の先に自然の営みの強さと美しさを感じるが、その営みの意味を探る必要があるのかという思いを、私は時折り感じさせられる。